もう20年以上前の話で、このブログを始める前の日記に1度書いたことがあるのですが、割と強烈な出来事で今でも強く記憶に残っているので、もう1度記しておこうと思い、書くことにしました。
当時私は某空港のシステム開発を担当していました。
空港というのは、当たり前ですが昼に飛行機が飛ぶので、いろんなシステムは昼に稼働しています。なので、システムを入れ替えるとなると夜に行う必要があります。
ということで、しばらくの間空港で夜勤をしていました。
当時は、夕方に空港に向かい、始発で帰ってきて寝る、という生活でした。
それで、空港からの始発電車に毎日乗るわけですが、空港発の始発電車にはほぼ誰も乗っていません。
始発電車に乗るのは、同じように夜勤をしていた人、もしくは飛行機が遅れて終電に間に合わなくてやむなく空港で一晩過ごすことになってしまった人、くらいなもので、一両に1人乗っているかいないか、くらいのものでした。
ということで、座席選び放題になるので、乗換駅の階段に一番近い場所で仮眠を取りやすい席というのを3日くらいで発見し、毎日その場所に座って帰る、というのを繰り返していました。
そんなある日。
いつものように駅で始発電車を待っていると、ふと後ろに人が並ぶ気配がしました。
その日も一両に1人いるかどうかくらいの人しかホームにいなかったのですが、この状態で並ぶ必要あるの?、という疑問がまず浮かびました。
でも、この人も乗換駅で階段に一番近い場所を知っているのかも、と思って、とりあえずきた電車に乗り込みました。
これでさすがに隣に座られたら困ると思っていたものの、ドア近くの対面に座ったので、まあまあこういう状況もあるだろう、と思って、そのまま仮眠に入ることにしました。
そのときは冬でマフラーをしていて、それがいい感じに首枕のようになって、乗換駅までの30分くらい仮眠できるのですが、そのときは眠気があるもののなぜか眠れなくて、手すりにもたれかかりつつ目を閉じているだけになっていました。
その状態が10分くらい続いて、やっぱり前に座っている人が気になるから眠れないのだろうな、と思ってちょっと薄目を開けて前を見てみると、男の人がチラチラこちらを見ながら手を動かしている様子が見えました。
で、ちょうどそのとき電車がトンネルに入って、窓ガラスが鏡のようになって、窓に男の人の手元が写りました。
なんと、スケッチブックに私の寝顔を描いていました。
窓ガラスの反射なのでそこまではっきりとは見えませんでしたが、全体的な輪郭と首にマフラーを巻いている絵が見えて、このときばかりは心底ゾッとしました。
とりあえず、今すぐこの場所から逃げ出したいと思ったのですが、ここは電車の中という閉鎖空間で、同じ車両には目の前の男性と自分しかいない、次の駅で降りたところで乗り換えられる電車はなく、乗る人も降りる人もほぼ皆無だろうという早朝ということで、むしろ移動した方が危険かもしれないという状況でした。
空港の駅にいたときから狙われていたのかという恐怖もありましたが、危害を加えられているわけではなくただ気持ち悪いという中途半端な状態で、ひとまず頭の中では乗換駅で降りた後、家までのあらゆる迂回ルートを考えつつ、これ以上絵を描かれないよう顔を伏せて寝たふりをしつつ、ただひたすら乗換駅を待ちました。
乗換駅に着いたとき、本当ならダッシュで逃げたかったのですが、そのときは大量の荷物があって旅行カートを引いていたのと、乗換駅のホームには大勢の人がいて走れないというのがあったので、まず真っ先にホームに出て、後ろに立たれないように旅行カートを後ろにおいてエスカレーターに乗り、とりあえず乗り換える電車のホームに行きました。
ここで後を付けられていたら怖いので、ホームの一番端に移動して先頭車両に乗り込み、誰もついて来ていないことを確認して、電車が動き出して、ようやくホッと一息つきました。
で、ふと旅行カートを見てみると、持ち手の窪みに飴が置いてあることに気が付きました。
あれ、飴は普段持ち歩いているけどこんなところに落としたっけ?、となってその飴を手に取ってみると、
〈この出会いに感謝して 090××××……〉
というメモが張り付けてあって、更にゾッとしました。
この飴はとりあえず日記のネタにしようと思って写真を撮った後ですぐ捨てました。
当時使っていたパソコンを探せばまだデータが残っているとは思うのですが、見つけたら何かがあるわけではないので、探していません。
今更思えば、似顔絵描きの人はそういう飴を何個も仕込みで持っていて、気に入った人の似顔絵を描きつつこっそり渡す、というのを日々繰り返していたのだと思います。
私がたまたま旅行カートを持っていたことで、空港で働いている人ではなく旅行者というように見えたこともターゲットになってしまった理由だったと思うのですが、こんな出会い方をして、よし連絡してみよう、なんて人がいるのかどうなのか……非常に疑問でした。
おそらくこの人が、人生で出会った1番わけのわからない出会いの方法を使っている人だったと思います。
2025年05月08日
2025年03月09日
養蚕農家の話
私の実家がしいたけ農家だという話は以前に書いたのですが、それ以前は養蚕農家でした。
養蚕は私が子供の頃既に斜陽産業で、繭の買取価格は年々下がっていっていました。
最盛期は(多分1960年代くらいまで)夏の間に養蚕で儲けて冬はあまり働かなくていいし、それで十分潤っていたそうですが、私が小学生の頃には冬にしいたけ栽培をしつつ母の公務員としての給料がなければとても暮らしが回らなかったようでした。
今はほぼなくなってしまった産業なので、記憶があるうちに養蚕農家はどんなことをしていたのか、を記しておこうと思います。
まず前提として、養蚕というのは蚕を育てて繭を作らせてそれを出荷する農業です。
蚕という虫についてザックリ説明すると、桑しか食べない虫で、卵から繭になるまでの間で4回ほど脱皮します。おおよそ5cmくらいまで成長して、通常は青白っぽい体色なのですが、繭を作る直前になるとオフホワイトっぽい体色になって桑を食べなくなります。
その後、繭を作ってさなぎの状態になり、この状態で出荷されることになります。
養蚕農家はまず農協(現在のJA)から2回脱皮した状態の蚕を買います。大きさとして1cmなかったくらい。この時期まではあまり桑を食べません。
これをおおよそ1ヶ月半くらいかけて繭になるまで育てます。
養蚕の時期はおおよそ4月初旬からスタート。
最初は蚕も小さいので、えさの回数も1日3回です。
飼育する場所もあまり広くなくて済むので、この時期はまだ楽です。
その後、体長が3センチくらいになると1回目の脱皮の時期を迎えます。
この時期はえさも食べなくなるので、脱皮が終わるまでの2日間くらいはちょっとだけ休めます。
ここまで2週間くらい。
大変なのはここから。
この時期から体も大きくなり、よりえさを食べるようになるので、えさは1日4回、最終的には5回にまで増えます。
祖父と父は毎朝5時に起きて桑を収穫し、蚕に与え、再び桑を収穫するというのを夜の7時くらいまで続けていました。休憩は食事のみ。
蚕が大きくなったことで飼育場所を広く取らなければならなくなるので、かなりの重労働です。
それに、雨が降ろうが台風が来ようが蚕は桑を食べるので、どんな天気でも父と祖父は桑の収穫をしていました。
蚕も夜は眠るので、夜にえさをあげる必要がないことだけが救いでしょうか。
この時期の蚕小屋に行くと、蚕が桑をムシャムシャ食べる音が響き渡っていて、その音は今でも耳に残っています。とにかくもうずーっと食べています。
1週間くらいすると4回目の脱皮に入るので、ここでも少しだけ休めます。
また、この時期にちょっとした私のアルバイトがありました。
それは、まれに発生する脱皮回数3回で繭を作ってしまう変異種を回収すること。
これは体色で見分けることが可能で、青白い塊の中でたまーにオフホワイトの個体がいるので、それをピックアップします。
でも、明確に色が違うわけではないので、なかなか難しかったです。
確率的には0.1%もいなかったのではないかと思います。
この変異種は繭になるのが早い、つまり成虫になるのも他の個体よりも早いので、そうなってしまう前、少し早めに出荷されます。
アルバイトとしては、ざっくり100匹見つけたら100円もらえる、くらいのレートでした。
変異種としては他にも全く成長しない個体もいました。大きさ的に2~3センチのままで、おそらく脱皮できなかった個体なのではないかな、と。
こういう個体はそのまま廃棄処分されるのですが、育て続けたらどうなっていたんだろう、と考えることもあります。
農協から蚕を受け取ってから約1ヶ月後、蚕が繭を作る態勢に入ります。
これが通称「蚕あげ」というもので、蚕をまぶしという繭制作用の個室に移します。
これは1~2日でやりきらないといけない作業で、これができないと蚕が桑の間で繭を作ってしまい、非常に回収が面倒になってしまいます。なので、スピードが要求されます。
このときは一家総出で手伝いをしなければならず、私も母も手伝わされました。
また、この作業後に桑の片付けをしていると、間から変異種の繭が発見されることがよくありました。
蚕はまぶしの1部屋で1つの繭を作るのが通例なのですが、稀に2匹同じ部屋で作ってしまうものが現れます。これは目視で引きはがすしかないのですが、それでも作ってしまう個体はいて、そうなるとそれは不良品として安く買いたたかれてしまいます。
また、蚕はさなぎになる段階で体内の排せつ物などをすべて体外に排出するので、まぶしの下には排せつ物の受け皿が取り付けられていました。
この排せつ物が独特な臭いで、この臭いに似た臭いをかぐと、その度に当時を思い出してしまいます。
幼虫時代の排せつ物はそこまで臭いを出すものではないので、個人的にこの繭になる直前が1番嫌いでした。
その他、幼虫時代ではそこまで死ぬ個体はいないのですが、繭になる直前で死ぬ個体はそこそこいました。
その死体の臭いが加わっていたのも悪臭につながっていたのだと思います。
繭になってしまったら、あとはもう楽々。
まぶしから取り出す専用器具があるので、それで繭を取り出して余計な周りの糸を取り除いたら、出荷です。
出荷後は数日休みがありますが、その後はまた次の蚕がやってくるので、再びそれを育てる、というのを10月くらいまで続けることになります。
という感じで養蚕農家の仕事は回っていくわけですが、結局具体的な金額でどれだけ収益があったのかは教えてはもらえませんでした。
でも、当時の母親の言動からいくつか推測できることはできました。
母がよく言っていたのは、
・父親を自分の扶養として社会保険に入れたいのに、今の法律では扶養に入れられないことになっているのはおかしい。
・いろいろ諸経費を抜けば養蚕の収入で税金はかからない。
だったので、下手なパート主婦より収入は少なかったのだと思います。
これだったら、そりゃあ廃業するよね、と今ならば納得できます。
今は地図記号から桑畑が消えていたりもしますし、いずれこの記憶も記録も消えてしまうのだと思いますが、その前に少しだけ語ってみました。
養蚕は私が子供の頃既に斜陽産業で、繭の買取価格は年々下がっていっていました。
最盛期は(多分1960年代くらいまで)夏の間に養蚕で儲けて冬はあまり働かなくていいし、それで十分潤っていたそうですが、私が小学生の頃には冬にしいたけ栽培をしつつ母の公務員としての給料がなければとても暮らしが回らなかったようでした。
今はほぼなくなってしまった産業なので、記憶があるうちに養蚕農家はどんなことをしていたのか、を記しておこうと思います。
まず前提として、養蚕というのは蚕を育てて繭を作らせてそれを出荷する農業です。
蚕という虫についてザックリ説明すると、桑しか食べない虫で、卵から繭になるまでの間で4回ほど脱皮します。おおよそ5cmくらいまで成長して、通常は青白っぽい体色なのですが、繭を作る直前になるとオフホワイトっぽい体色になって桑を食べなくなります。
その後、繭を作ってさなぎの状態になり、この状態で出荷されることになります。
養蚕農家はまず農協(現在のJA)から2回脱皮した状態の蚕を買います。大きさとして1cmなかったくらい。この時期まではあまり桑を食べません。
これをおおよそ1ヶ月半くらいかけて繭になるまで育てます。
養蚕の時期はおおよそ4月初旬からスタート。
最初は蚕も小さいので、えさの回数も1日3回です。
飼育する場所もあまり広くなくて済むので、この時期はまだ楽です。
その後、体長が3センチくらいになると1回目の脱皮の時期を迎えます。
この時期はえさも食べなくなるので、脱皮が終わるまでの2日間くらいはちょっとだけ休めます。
ここまで2週間くらい。
大変なのはここから。
この時期から体も大きくなり、よりえさを食べるようになるので、えさは1日4回、最終的には5回にまで増えます。
祖父と父は毎朝5時に起きて桑を収穫し、蚕に与え、再び桑を収穫するというのを夜の7時くらいまで続けていました。休憩は食事のみ。
蚕が大きくなったことで飼育場所を広く取らなければならなくなるので、かなりの重労働です。
それに、雨が降ろうが台風が来ようが蚕は桑を食べるので、どんな天気でも父と祖父は桑の収穫をしていました。
蚕も夜は眠るので、夜にえさをあげる必要がないことだけが救いでしょうか。
この時期の蚕小屋に行くと、蚕が桑をムシャムシャ食べる音が響き渡っていて、その音は今でも耳に残っています。とにかくもうずーっと食べています。
1週間くらいすると4回目の脱皮に入るので、ここでも少しだけ休めます。
また、この時期にちょっとした私のアルバイトがありました。
それは、まれに発生する脱皮回数3回で繭を作ってしまう変異種を回収すること。
これは体色で見分けることが可能で、青白い塊の中でたまーにオフホワイトの個体がいるので、それをピックアップします。
でも、明確に色が違うわけではないので、なかなか難しかったです。
確率的には0.1%もいなかったのではないかと思います。
この変異種は繭になるのが早い、つまり成虫になるのも他の個体よりも早いので、そうなってしまう前、少し早めに出荷されます。
アルバイトとしては、ざっくり100匹見つけたら100円もらえる、くらいのレートでした。
変異種としては他にも全く成長しない個体もいました。大きさ的に2~3センチのままで、おそらく脱皮できなかった個体なのではないかな、と。
こういう個体はそのまま廃棄処分されるのですが、育て続けたらどうなっていたんだろう、と考えることもあります。
農協から蚕を受け取ってから約1ヶ月後、蚕が繭を作る態勢に入ります。
これが通称「蚕あげ」というもので、蚕をまぶしという繭制作用の個室に移します。
これは1~2日でやりきらないといけない作業で、これができないと蚕が桑の間で繭を作ってしまい、非常に回収が面倒になってしまいます。なので、スピードが要求されます。
このときは一家総出で手伝いをしなければならず、私も母も手伝わされました。
また、この作業後に桑の片付けをしていると、間から変異種の繭が発見されることがよくありました。
蚕はまぶしの1部屋で1つの繭を作るのが通例なのですが、稀に2匹同じ部屋で作ってしまうものが現れます。これは目視で引きはがすしかないのですが、それでも作ってしまう個体はいて、そうなるとそれは不良品として安く買いたたかれてしまいます。
また、蚕はさなぎになる段階で体内の排せつ物などをすべて体外に排出するので、まぶしの下には排せつ物の受け皿が取り付けられていました。
この排せつ物が独特な臭いで、この臭いに似た臭いをかぐと、その度に当時を思い出してしまいます。
幼虫時代の排せつ物はそこまで臭いを出すものではないので、個人的にこの繭になる直前が1番嫌いでした。
その他、幼虫時代ではそこまで死ぬ個体はいないのですが、繭になる直前で死ぬ個体はそこそこいました。
その死体の臭いが加わっていたのも悪臭につながっていたのだと思います。
繭になってしまったら、あとはもう楽々。
まぶしから取り出す専用器具があるので、それで繭を取り出して余計な周りの糸を取り除いたら、出荷です。
出荷後は数日休みがありますが、その後はまた次の蚕がやってくるので、再びそれを育てる、というのを10月くらいまで続けることになります。
という感じで養蚕農家の仕事は回っていくわけですが、結局具体的な金額でどれだけ収益があったのかは教えてはもらえませんでした。
でも、当時の母親の言動からいくつか推測できることはできました。
母がよく言っていたのは、
・父親を自分の扶養として社会保険に入れたいのに、今の法律では扶養に入れられないことになっているのはおかしい。
・いろいろ諸経費を抜けば養蚕の収入で税金はかからない。
だったので、下手なパート主婦より収入は少なかったのだと思います。
これだったら、そりゃあ廃業するよね、と今ならば納得できます。
今は地図記号から桑畑が消えていたりもしますし、いずれこの記憶も記録も消えてしまうのだと思いますが、その前に少しだけ語ってみました。
2024年12月07日
ブログ移転前記念・記事アクセス数ランキング
当ブログはSSブログサービス終了に伴いSeesaaブログへの移行を行う予定ですが、移行ツールで記事の移行は出来てもアクセス数の移行は多分出来ないと思われるので、12月6日時点での1489記事、HP上の日記をブログに移行したのが2005年12月4日なのでおおよそ19年分の記事のアクセス数をランキングにして振り返ってみようと思います。
なお、記事毎のアクセス数は確認できるのですが、アクセス数でソートすることはブログの機能上出来ないので、1489記事のアクセス数をすべてチェックして5000以上のものをピックアップし、自力でソートしました。
アクセス数5000超えは全22記事、もういっそのこと全て紹介しようと思います。
なお、いきなり22位から発表すると先が長いので、まずトップ10を発表、残りは「続きを読む」以降にまとめて書きます。
第10位 紅心王子・完結
アクセス数:7,801
割と異例な完結の仕方をした作品の記事で、そういえばあの作品どうなった?、という感じでアクセスしてくれるのだと思います。
この作品に関してガッツリ書かれた記事があまり多くないというのもあるかと思います。
第9位 ミステリート~アザーサイドオブチャーチ~・クリア
アクセス数:9,123
「ミステリート」シリーズの番外編的な位置付けの作品で、コンシューマ版が出ていない作品というのもあり、コアなファンはいるけどマイナーなゲームなので、アクセスがあるのだと思われます。
また、メーカーが攻略やネタバレについてかなり規制をかけていたり、ちゃんとパッケージ版を買っている人でないとクリアできないようにしているとかもあったので(違法ダウンロードをものすごく嫌っていた)、何かしらの情報を求めてアクセスしてきたとかもあるようです。
当時、パッケージに書いてあるパスコードを教えてくれってメールが来たりしましたし。(返信してません)
第8位 ゼロサム・6月号感想
アクセス数:9,138
2018年の記事で、なぜこの記事にこんなにアクセスが?、と思うわけですが、多分「瞬間ライル」の最終回が掲載された号だからだと思われます。
種村有菜さんは結構コアなファンがいる印象ですし、この作品についての記事ってあまりないと思うので。
第7位 ゼロサム・12月号感想
アクセス数:9,300
2020年の記事で、なぜこの記事にこんなにアクセスが?、シリーズです。
「勇者の嫁になりたくて」の最終回、「ツキウタ」の新連載、「転生!太宰治」がここから面白くなるのではという期待、アニメ「A3!」と「ヒプノシスマイク」の話題をピックアップしました。
これは本当に何が検索で引っかかってアクセスされているのかわかりません。
ピックアップした作品の何かだとは思うのですが。
第6位 ローグギャラクシー・クリア
アクセス数:12,223
かなりボロクソ書いたゲームの感想です。
ダメな要素を列挙したわけですが、このゲーム程ダメなところを挙げられるゲームは未だないと思うくらいで、同様のことを思っている人が多いのか、クソゲーの評判を聞いて検索する人が多いのか。
批判系の記事の方がアクセス数は伸びやすい気がします。
第5位 アルスラーン戦記・完結まで残り1巻における結末予想
アクセス数:15,637
第4位 アルスラーン戦記・完結
アクセス数:28,311
5位に関しては4位の記事にリンクを貼っているので、その関係で一緒に伸びているのだと思います。
ここ最近1番アクセスされている記事で、コミカライズが進んでいる中で原作が完結したので、結末が知りたい人などがアクセスしてくれるのかな、と。
アニメやコミックスで第1部の内容は知っているけど第2部は知らない、という人もアクセスしてくれるのだと思っています。
第3位 グリザイアの楽園・クリア
アクセス数:32,117
グリザイアシリーズの完結編なのですが、「グリザイアの果実」「グリザイアの迷宮」が共にアクセス数6000代なのに対してこれだけ突出して多いです。
やはり完結編で結末を知りたいという人がアクセスしてくれるのだと思います。
第2位 風の大陸・完結
アクセス数:47,434
2006年の記事なので、このブログが始まってそこまで経っていないときからずっとアクセスされ続けている印象です。
そういえばこの作品どうなった?、という検索で辿り着くだろう当ブログのツートップの1つです。
批判覚悟でボロクソ書きましたが、意外と同調意見が多かったように感じています。
第1位 宇宙皇子の話
アクセス数:83,805
2位とダブルスコア近い差がある当ブログの看板レベルにある記事です。
2010年の記事ですが、未だコメントが書き込まれます。
作品が流行っていたときにネットが未発達で、完結まで追っていた人が少ないというのもあり、そういえばこの作品どうなった?、となったときに検索して上位に表示されるようです。
総括すると、記事数的に1番書いているのはスクエニ系の雑誌感想なわけですが、月刊誌なので更新直後はアクセスが集中するものの、1ヶ月後にはほぼ見られなくなるので、アクセス数はあまり伸びません。平均して300~500くらいなのですが、たまに数千とかになる記事があります。ピックアップしている話題が何かしらの検索に引っかかるのだと思います。
ランキングからもわかるように、記事をアップしたときからずっと定期的にアクセスがあるのが完結した小説の感想で、そこまで有名ではないけど名作と言われているゲームの感想も定期的にアクセスがあります。
あとは、ゲームの続編やリメイクが出たときの前作、映画などもある時急にアクセスされたりします。
ゲームに関しては、ゼルダみたいな超メジャーゲームについては世の中に感想が溢れかえっているのであまりアクセスされませんが、菅野ひろゆきさんが関わっていたPCゲームとか、コアなファンがいるゲームはよくアクセスされます。
では、以下に11位以降のランキングを掲載します。続きを読む
なお、記事毎のアクセス数は確認できるのですが、アクセス数でソートすることはブログの機能上出来ないので、1489記事のアクセス数をすべてチェックして5000以上のものをピックアップし、自力でソートしました。
アクセス数5000超えは全22記事、もういっそのこと全て紹介しようと思います。
なお、いきなり22位から発表すると先が長いので、まずトップ10を発表、残りは「続きを読む」以降にまとめて書きます。
第10位 紅心王子・完結
アクセス数:7,801
割と異例な完結の仕方をした作品の記事で、そういえばあの作品どうなった?、という感じでアクセスしてくれるのだと思います。
この作品に関してガッツリ書かれた記事があまり多くないというのもあるかと思います。
第9位 ミステリート~アザーサイドオブチャーチ~・クリア
アクセス数:9,123
「ミステリート」シリーズの番外編的な位置付けの作品で、コンシューマ版が出ていない作品というのもあり、コアなファンはいるけどマイナーなゲームなので、アクセスがあるのだと思われます。
また、メーカーが攻略やネタバレについてかなり規制をかけていたり、ちゃんとパッケージ版を買っている人でないとクリアできないようにしているとかもあったので(違法ダウンロードをものすごく嫌っていた)、何かしらの情報を求めてアクセスしてきたとかもあるようです。
当時、パッケージに書いてあるパスコードを教えてくれってメールが来たりしましたし。(返信してません)
第8位 ゼロサム・6月号感想
アクセス数:9,138
2018年の記事で、なぜこの記事にこんなにアクセスが?、と思うわけですが、多分「瞬間ライル」の最終回が掲載された号だからだと思われます。
種村有菜さんは結構コアなファンがいる印象ですし、この作品についての記事ってあまりないと思うので。
第7位 ゼロサム・12月号感想
アクセス数:9,300
2020年の記事で、なぜこの記事にこんなにアクセスが?、シリーズです。
「勇者の嫁になりたくて」の最終回、「ツキウタ」の新連載、「転生!太宰治」がここから面白くなるのではという期待、アニメ「A3!」と「ヒプノシスマイク」の話題をピックアップしました。
これは本当に何が検索で引っかかってアクセスされているのかわかりません。
ピックアップした作品の何かだとは思うのですが。
第6位 ローグギャラクシー・クリア
アクセス数:12,223
かなりボロクソ書いたゲームの感想です。
ダメな要素を列挙したわけですが、このゲーム程ダメなところを挙げられるゲームは未だないと思うくらいで、同様のことを思っている人が多いのか、クソゲーの評判を聞いて検索する人が多いのか。
批判系の記事の方がアクセス数は伸びやすい気がします。
第5位 アルスラーン戦記・完結まで残り1巻における結末予想
アクセス数:15,637
第4位 アルスラーン戦記・完結
アクセス数:28,311
5位に関しては4位の記事にリンクを貼っているので、その関係で一緒に伸びているのだと思います。
ここ最近1番アクセスされている記事で、コミカライズが進んでいる中で原作が完結したので、結末が知りたい人などがアクセスしてくれるのかな、と。
アニメやコミックスで第1部の内容は知っているけど第2部は知らない、という人もアクセスしてくれるのだと思っています。
第3位 グリザイアの楽園・クリア
アクセス数:32,117
グリザイアシリーズの完結編なのですが、「グリザイアの果実」「グリザイアの迷宮」が共にアクセス数6000代なのに対してこれだけ突出して多いです。
やはり完結編で結末を知りたいという人がアクセスしてくれるのだと思います。
第2位 風の大陸・完結
アクセス数:47,434
2006年の記事なので、このブログが始まってそこまで経っていないときからずっとアクセスされ続けている印象です。
そういえばこの作品どうなった?、という検索で辿り着くだろう当ブログのツートップの1つです。
批判覚悟でボロクソ書きましたが、意外と同調意見が多かったように感じています。
第1位 宇宙皇子の話
アクセス数:83,805
2位とダブルスコア近い差がある当ブログの看板レベルにある記事です。
2010年の記事ですが、未だコメントが書き込まれます。
作品が流行っていたときにネットが未発達で、完結まで追っていた人が少ないというのもあり、そういえばこの作品どうなった?、となったときに検索して上位に表示されるようです。
総括すると、記事数的に1番書いているのはスクエニ系の雑誌感想なわけですが、月刊誌なので更新直後はアクセスが集中するものの、1ヶ月後にはほぼ見られなくなるので、アクセス数はあまり伸びません。平均して300~500くらいなのですが、たまに数千とかになる記事があります。ピックアップしている話題が何かしらの検索に引っかかるのだと思います。
ランキングからもわかるように、記事をアップしたときからずっと定期的にアクセスがあるのが完結した小説の感想で、そこまで有名ではないけど名作と言われているゲームの感想も定期的にアクセスがあります。
あとは、ゲームの続編やリメイクが出たときの前作、映画などもある時急にアクセスされたりします。
ゲームに関しては、ゼルダみたいな超メジャーゲームについては世の中に感想が溢れかえっているのであまりアクセスされませんが、菅野ひろゆきさんが関わっていたPCゲームとか、コアなファンがいるゲームはよくアクセスされます。
では、以下に11位以降のランキングを掲載します。続きを読む
2024年11月10日
高熱を侮ってはいけない話
8月某日。
夫の体調がよくないというので熱を測ってみたところ、39度オーバー。
これが全ての始まりでした。
ただ、体がだるいとか、咳や鼻水が出るとか、息苦しいとかはなく、ただ熱が出ている、という状態でした。
とりあえず解熱剤を飲んで様子を見てみる?、ということで、そのまま3日ほど経過。
すると今度は人生でなったことがなかったという便秘が発生。
熱は相変わらず下がらず、便秘で発熱することもあるらしいということで、今度は下剤を飲んで様子を見ることにしました。
すると下剤の効果で便秘が解消するとともに熱も下がり、便秘が原因だったのかねぇ、みたいな感じでまた3日ほど経過したところで、再び発熱しました。
今度は40度オーバーで、人間の体温は42度を越えたら死ぬっていうのに40度オーバーが続くってかなりマズい状態では?、となりました。
市販の解熱剤はあまり効いている様子がなく、とりあえず下剤の力で便秘は解消され、症状は高熱のみ。
さすがに40度オーバー3日目は日曜日だったのですが、これはもう医者にかかるべきだと思って、休日診療をしている病院を「♯7119」で尋ねて教えてもらって、4件目に電話した病院で診てくれる、となって病院に向かいました。
まずは高熱の原因は何なのかが知りたかったのでインフルエンザとコロナウイルスの検査をしたものの、陰性でした。
便秘の症状が出ているなら腸の問題では?、ということで、整腸剤と解熱剤が処方されて一旦帰宅しました。
そこから5日。
体温は常に39度オーバー、整腸剤を飲んでいるけど症状に変化なし。解熱剤も効果なし。下剤を止めて整腸剤にしたら便秘復活。
でも、相変わらず症状は高熱と便秘のみで、食欲はそれなりにあるものの熱のせいでそこまで食べられない、というのが続きました。
これはさすがにもう1回病院に行って、血液検査なり何なりしてもらって原因を突き止めた方がいい、ということになって、救急で診てもらった病院にもう1度行きました。
この時点で、ネット検索で高熱の理由をいろいろ調べていたのですが、ウイルスなどの感染症系の確率が40%、悪性腫瘍などの場合が20%あるという記述を見つけて、最悪癌もあるな、と思っていました。
解熱剤が効かないのでウイルス系の症状ではないだろうし、整腸剤の効果がないなら解熱剤が効かない胃腸風邪系でもないのだろうな、と。
それで内科を再び受診して症状を伝え、医師が触診をしたときに、押すと左側の下腹が痛い、という新たな症状が発覚して、じゃあ血液検査とCT撮りましょうか、ということになりました。
大きい病院だとCT撮るだけで予約で1週間後とかになったりするのに、いきなり撮ってくれるんだ、とちょっとビックリしたのですが、おそらく医師はこのとき何かを察していたのだと後々思いました。
約30分後に結果が出て診察室に呼ばれたのですが、医師は結構深刻そうな感じで、
「○○さん、血液検査の結果が結構悪いです。まず、白血球の数が多いです。」
と言ってきたので、これ白血病か?、というのが一瞬頭をよぎったのですが、結果は全く違っていました。
「次にこれがCTなんですが、これが腎臓です。それで、ここに黒い影が見えますよね?これは空気です。通常腎臓に空気が入ることはあり得ません。これは気腫性腎盂腎炎です。うちの病院では対応できないので、これからこちらで入院できる病院を探すので、すぐ入院してください。」
え、そんな悪い状態だったの!?、というのが最初の感想で、よくない状態だとは思っていたものの即日入院って相当では?、とかなりビックリしました。
ただ、このとき「気腫性」というのを「急性」と聞き間違えていて、急性腎盂腎炎って少し前にタレントの山本高広さんが罹った病気で、確か入院&手術したって話だったら、それと似た感じなのかな、とそこまで深刻には考えていませんでした。
なお、山本高広さんが罹ったのは結石性腎盂腎炎なので、また違う種類の腎盂腎炎なので参考にはならなかったと後々知ることになるのですが、このときはそこまで調べられませんでした。
そこから待つこと3時間。
2つの病院に断られ、3件目でようやく入院してもいいよという病院が見つかったので、すぐさま移動。
紹介状とCT画像と血液検査の結果を持って改めて診察を受け、病気の詳細を聞きました。
「気腫性腎盂腎炎というのは、免疫力が下がった状態で本来殺せるはずの細菌が殺せなくなって、細菌が繁殖して膿が出てそこからガスが発生している状態です。ちょっと怖いことを言うと、致死率20%あります。」
このセリフを聞いた時が一番ゾッとしたときで、この病気の最悪は腎臓摘出なのだろうと思っていたら、最悪「死」まであるのか、と。
しかも致死率20%って結構な確率で、(当たり前のことですが)この病気になった人の5人に1人が死ぬってことで、コロナウイルスがまだ未知のウイルスだった初期の初期でも重症者の致死率10%なかったよね?、と。
すぐに入院してくださいってことは、このままだと近いうち死にますよ、という意味なのだと改めて実感しました。
「ただ、幸いと言ってはあれですけど、まだ治療可能の範囲内です。ひどい場合はもっとガタガタの数値が出てきますが、そこまでは行っていません。これから抗生剤の投与、場合によっては手術になります。それにしても、ここまで数値が悪いと意識障害が出たり痛みが出てもおかしくないのですが、なぜ元気なのかわかりません。」
ということで、そのまま入院することになりました。
一応、泌尿器科に強い病院で、そこの医師が治療できると言っているので大丈夫だとは思いつつも、その日の夜はあまり眠れませんでした。
それで改めて気腫性腎盂腎炎をネットで調べたわけですが、この病気になる人は女性の方が数倍多いけれど、90%の確率で糖尿病を併発している、とありました。
あぁ、ここで今まで目を背けてきた糖尿病が出てきたのだな、と感じました。
もう何年も前から健康診断の度に糖尿病と高血圧を指摘されてきたのに、病院通いが面倒だという理由でずっと無視し続けてきた結果が出たのだな、と。
高齢者が家族の言うことを聞かずに免許返納しないのと同じ流れで、家族が言ったところでどうにもならない、夫はむしろ言うとさらに気持ちが頑なになって何もしなくなってしまうタイプなので、太く短く生きるならもうそれでいいんじゃないの、とこちらもこちらで放っておいていました。
それがドカッと襲い掛かってきたわけで。
そこから治療が開始され、最初の3日間は抗生剤投与で様子見だったものの結果はあまり変わらず、ではお腹に穴をあけて体内の膿を出す手術をしましょうとなり、それで膿が体外に出始めたからは一気に症状が改善しました。
私も私で、入院初期はいつ病院から電話がかかってくるのかとドキドキしていましたが、症状が落ち着いてからは普通に寝られるようになりました。(結局病院から電話がかかってくることはありませんでした。)
その後、2週間で無事退院となりました。
最初に病院に行ったときに血液検査をしていたら入院するほど悪化はしなかったかも、という話もあり、高熱って裏に恐ろしい病気が隠れているのだな、と強く感じました。
また、病院で診てもらうなら救急ではなく平日ちゃんと病院が開いているときにするべきだった、とも思いました。救急だと出来る検査も限られていますし、何しろ受け入れてくれる病院が少なかったり、診てくれたとしても処方箋が出せないとか検査ができないとかいろいろ制限がありました。
処方箋を出してもらっても、休日に空いている処方箋薬局が極端に少ないというのもありました。
退院後も保険金の請求を出すためにいろいろ手配したり、何やかんや大変でした。
こういうとき、やっぱり健康って大切だな、と感じました。
夫の体調がよくないというので熱を測ってみたところ、39度オーバー。
これが全ての始まりでした。
ただ、体がだるいとか、咳や鼻水が出るとか、息苦しいとかはなく、ただ熱が出ている、という状態でした。
とりあえず解熱剤を飲んで様子を見てみる?、ということで、そのまま3日ほど経過。
すると今度は人生でなったことがなかったという便秘が発生。
熱は相変わらず下がらず、便秘で発熱することもあるらしいということで、今度は下剤を飲んで様子を見ることにしました。
すると下剤の効果で便秘が解消するとともに熱も下がり、便秘が原因だったのかねぇ、みたいな感じでまた3日ほど経過したところで、再び発熱しました。
今度は40度オーバーで、人間の体温は42度を越えたら死ぬっていうのに40度オーバーが続くってかなりマズい状態では?、となりました。
市販の解熱剤はあまり効いている様子がなく、とりあえず下剤の力で便秘は解消され、症状は高熱のみ。
さすがに40度オーバー3日目は日曜日だったのですが、これはもう医者にかかるべきだと思って、休日診療をしている病院を「♯7119」で尋ねて教えてもらって、4件目に電話した病院で診てくれる、となって病院に向かいました。
まずは高熱の原因は何なのかが知りたかったのでインフルエンザとコロナウイルスの検査をしたものの、陰性でした。
便秘の症状が出ているなら腸の問題では?、ということで、整腸剤と解熱剤が処方されて一旦帰宅しました。
そこから5日。
体温は常に39度オーバー、整腸剤を飲んでいるけど症状に変化なし。解熱剤も効果なし。下剤を止めて整腸剤にしたら便秘復活。
でも、相変わらず症状は高熱と便秘のみで、食欲はそれなりにあるものの熱のせいでそこまで食べられない、というのが続きました。
これはさすがにもう1回病院に行って、血液検査なり何なりしてもらって原因を突き止めた方がいい、ということになって、救急で診てもらった病院にもう1度行きました。
この時点で、ネット検索で高熱の理由をいろいろ調べていたのですが、ウイルスなどの感染症系の確率が40%、悪性腫瘍などの場合が20%あるという記述を見つけて、最悪癌もあるな、と思っていました。
解熱剤が効かないのでウイルス系の症状ではないだろうし、整腸剤の効果がないなら解熱剤が効かない胃腸風邪系でもないのだろうな、と。
それで内科を再び受診して症状を伝え、医師が触診をしたときに、押すと左側の下腹が痛い、という新たな症状が発覚して、じゃあ血液検査とCT撮りましょうか、ということになりました。
大きい病院だとCT撮るだけで予約で1週間後とかになったりするのに、いきなり撮ってくれるんだ、とちょっとビックリしたのですが、おそらく医師はこのとき何かを察していたのだと後々思いました。
約30分後に結果が出て診察室に呼ばれたのですが、医師は結構深刻そうな感じで、
「○○さん、血液検査の結果が結構悪いです。まず、白血球の数が多いです。」
と言ってきたので、これ白血病か?、というのが一瞬頭をよぎったのですが、結果は全く違っていました。
「次にこれがCTなんですが、これが腎臓です。それで、ここに黒い影が見えますよね?これは空気です。通常腎臓に空気が入ることはあり得ません。これは気腫性腎盂腎炎です。うちの病院では対応できないので、これからこちらで入院できる病院を探すので、すぐ入院してください。」
え、そんな悪い状態だったの!?、というのが最初の感想で、よくない状態だとは思っていたものの即日入院って相当では?、とかなりビックリしました。
ただ、このとき「気腫性」というのを「急性」と聞き間違えていて、急性腎盂腎炎って少し前にタレントの山本高広さんが罹った病気で、確か入院&手術したって話だったら、それと似た感じなのかな、とそこまで深刻には考えていませんでした。
なお、山本高広さんが罹ったのは結石性腎盂腎炎なので、また違う種類の腎盂腎炎なので参考にはならなかったと後々知ることになるのですが、このときはそこまで調べられませんでした。
そこから待つこと3時間。
2つの病院に断られ、3件目でようやく入院してもいいよという病院が見つかったので、すぐさま移動。
紹介状とCT画像と血液検査の結果を持って改めて診察を受け、病気の詳細を聞きました。
「気腫性腎盂腎炎というのは、免疫力が下がった状態で本来殺せるはずの細菌が殺せなくなって、細菌が繁殖して膿が出てそこからガスが発生している状態です。ちょっと怖いことを言うと、致死率20%あります。」
このセリフを聞いた時が一番ゾッとしたときで、この病気の最悪は腎臓摘出なのだろうと思っていたら、最悪「死」まであるのか、と。
しかも致死率20%って結構な確率で、(当たり前のことですが)この病気になった人の5人に1人が死ぬってことで、コロナウイルスがまだ未知のウイルスだった初期の初期でも重症者の致死率10%なかったよね?、と。
すぐに入院してくださいってことは、このままだと近いうち死にますよ、という意味なのだと改めて実感しました。
「ただ、幸いと言ってはあれですけど、まだ治療可能の範囲内です。ひどい場合はもっとガタガタの数値が出てきますが、そこまでは行っていません。これから抗生剤の投与、場合によっては手術になります。それにしても、ここまで数値が悪いと意識障害が出たり痛みが出てもおかしくないのですが、なぜ元気なのかわかりません。」
ということで、そのまま入院することになりました。
一応、泌尿器科に強い病院で、そこの医師が治療できると言っているので大丈夫だとは思いつつも、その日の夜はあまり眠れませんでした。
それで改めて気腫性腎盂腎炎をネットで調べたわけですが、この病気になる人は女性の方が数倍多いけれど、90%の確率で糖尿病を併発している、とありました。
あぁ、ここで今まで目を背けてきた糖尿病が出てきたのだな、と感じました。
もう何年も前から健康診断の度に糖尿病と高血圧を指摘されてきたのに、病院通いが面倒だという理由でずっと無視し続けてきた結果が出たのだな、と。
高齢者が家族の言うことを聞かずに免許返納しないのと同じ流れで、家族が言ったところでどうにもならない、夫はむしろ言うとさらに気持ちが頑なになって何もしなくなってしまうタイプなので、太く短く生きるならもうそれでいいんじゃないの、とこちらもこちらで放っておいていました。
それがドカッと襲い掛かってきたわけで。
そこから治療が開始され、最初の3日間は抗生剤投与で様子見だったものの結果はあまり変わらず、ではお腹に穴をあけて体内の膿を出す手術をしましょうとなり、それで膿が体外に出始めたからは一気に症状が改善しました。
私も私で、入院初期はいつ病院から電話がかかってくるのかとドキドキしていましたが、症状が落ち着いてからは普通に寝られるようになりました。(結局病院から電話がかかってくることはありませんでした。)
その後、2週間で無事退院となりました。
最初に病院に行ったときに血液検査をしていたら入院するほど悪化はしなかったかも、という話もあり、高熱って裏に恐ろしい病気が隠れているのだな、と強く感じました。
また、病院で診てもらうなら救急ではなく平日ちゃんと病院が開いているときにするべきだった、とも思いました。救急だと出来る検査も限られていますし、何しろ受け入れてくれる病院が少なかったり、診てくれたとしても処方箋が出せないとか検査ができないとかいろいろ制限がありました。
処方箋を出してもらっても、休日に空いている処方箋薬局が極端に少ないというのもありました。
退院後も保険金の請求を出すためにいろいろ手配したり、何やかんや大変でした。
こういうとき、やっぱり健康って大切だな、と感じました。
2024年10月10日
中学受験日記 最終回~入学手続きから入学後の生活~
いざ第一志望に合格し、合格証を受け取り、入学金を振り込んでもまだ、本当に入学できるのかな?、という不安は入学式を終えるまでずっと付きまとっていました。
第一志望校は全3回の入試を実施して、1回目で合格したので2回目以降は受験していないのですが、2回目以降受験しないで大丈夫なのかな?、と考えてしまったりしていて。
新入生ガイダンスに参加し、ちゃんと娘の名前があることを確認してようやく本当に入学できるのだな、という確信みたいなものを得たのですが、それでもまだ入学式を終えるまでは多少ビクビクしていました。
そして、無事入学。
私自身中学と高校は公立だったので、入学後はいろいろ私自身の体験と違い過ぎて驚くことが度々ありました。以下に実例を挙げます。
1.行事が多い
宗教系の学校なので、宗教にまつわる行事が2ヶ月に1回くらいあり、保護者も参加可能だったりします。
宗教系の学校だからといって入信しないといけないとかはなく、行事も自由参加なのですが、とりあえず知っておいた方がいいだろう、という考えのもと、私は可能な限り参加しています。
学校で実施されるもの以外でも、大きなホールを貸し切ったりする場合もあって、かけてるお金が違うな、と感じました。
学校にプールがないので、民営プールを貸し切って授業をするとか、芸術鑑賞という名目で某劇団の公演を観に行ったりとか、社会科見学で遠出をするとか、体験学習に惜しみなくお金と時間を投入してくる凄さがありました。
修学旅行が海外ですっていうベタなところもきっちり抑えていたりしますし。
2.保護者会はほぼ全員参加
娘の小学校時代、保護者会が実施されてもクラスで参加者が10人切ることなんてザラにあったのですが、中学に入ったら欠席者がほぼいない状態で、親の関心度が違うのだな、と感じました。小学校時代は問題児の親ほど保護者会に出て来ない、というのが通例でしたし、PTA役員は誰もやりたがらなかったですし。
娘の幼稚園は私立で、そのときの保護者参加率は9割くらいだったのですが、それを越えてきました。
また、PTA役員も自分からやりますって言う人が何人もいたようです。
3.定期テスト以外の小テストが多い
英単語テスト、漢字テスト、計算テストなどなど、しょっちゅう行われています。
出題範囲は学期の始め提示されていて、点数が悪ければ再テストになります。
ちゃんと勉強しておきなさいよ、というプレッシャーと共に、誰も落ちこぼれさせない感を凄く感じます。
私自身、中学のときも高校のときも定期テストと模試以外のテストってほぼなかった印象だったので、勉強は手厚いな、と感じました。
元々割と面倒見がいい校風だというのは聞いていましたし、娘は自由にさせるととことん遊びまくるので、ある程度縛ってくれる場所がいいと思っていたというのもあり、これはこれでよかったです。
4.バザー品の強制出品
学園祭で実施されるバザーの提供品は1家庭につき1000円以上で協力してほしいという名のほぼ強制出品、というところまでは想定内だったのですが、企業ロゴ入りの物・貰いものの粗品・陶器禁止、という縛りが結構我が家には厳しかったです。
いつかバザーに出すときのために、と保存しておいた結婚式の引き出物の食器とか自動車会社のグッズとかが使えなくなってしまったので。
とりあえず、普段使いできそうなゲーセンの景品ならいけるでしょう、という判断でデカデカと女の子キャラが描かれているようなものではないブランケットを発見して提供しました。
元々環境を求めての中学受験でしたが、結果的に求めていた環境が手に入ったように感じました。
偏差値とかお金とかいろいろ振り回されはしましたが、受験をしてよかったと思っています。
第一志望校は全3回の入試を実施して、1回目で合格したので2回目以降は受験していないのですが、2回目以降受験しないで大丈夫なのかな?、と考えてしまったりしていて。
新入生ガイダンスに参加し、ちゃんと娘の名前があることを確認してようやく本当に入学できるのだな、という確信みたいなものを得たのですが、それでもまだ入学式を終えるまでは多少ビクビクしていました。
そして、無事入学。
私自身中学と高校は公立だったので、入学後はいろいろ私自身の体験と違い過ぎて驚くことが度々ありました。以下に実例を挙げます。
1.行事が多い
宗教系の学校なので、宗教にまつわる行事が2ヶ月に1回くらいあり、保護者も参加可能だったりします。
宗教系の学校だからといって入信しないといけないとかはなく、行事も自由参加なのですが、とりあえず知っておいた方がいいだろう、という考えのもと、私は可能な限り参加しています。
学校で実施されるもの以外でも、大きなホールを貸し切ったりする場合もあって、かけてるお金が違うな、と感じました。
学校にプールがないので、民営プールを貸し切って授業をするとか、芸術鑑賞という名目で某劇団の公演を観に行ったりとか、社会科見学で遠出をするとか、体験学習に惜しみなくお金と時間を投入してくる凄さがありました。
修学旅行が海外ですっていうベタなところもきっちり抑えていたりしますし。
2.保護者会はほぼ全員参加
娘の小学校時代、保護者会が実施されてもクラスで参加者が10人切ることなんてザラにあったのですが、中学に入ったら欠席者がほぼいない状態で、親の関心度が違うのだな、と感じました。小学校時代は問題児の親ほど保護者会に出て来ない、というのが通例でしたし、PTA役員は誰もやりたがらなかったですし。
娘の幼稚園は私立で、そのときの保護者参加率は9割くらいだったのですが、それを越えてきました。
また、PTA役員も自分からやりますって言う人が何人もいたようです。
3.定期テスト以外の小テストが多い
英単語テスト、漢字テスト、計算テストなどなど、しょっちゅう行われています。
出題範囲は学期の始め提示されていて、点数が悪ければ再テストになります。
ちゃんと勉強しておきなさいよ、というプレッシャーと共に、誰も落ちこぼれさせない感を凄く感じます。
私自身、中学のときも高校のときも定期テストと模試以外のテストってほぼなかった印象だったので、勉強は手厚いな、と感じました。
元々割と面倒見がいい校風だというのは聞いていましたし、娘は自由にさせるととことん遊びまくるので、ある程度縛ってくれる場所がいいと思っていたというのもあり、これはこれでよかったです。
4.バザー品の強制出品
学園祭で実施されるバザーの提供品は1家庭につき1000円以上で協力してほしいという名のほぼ強制出品、というところまでは想定内だったのですが、企業ロゴ入りの物・貰いものの粗品・陶器禁止、という縛りが結構我が家には厳しかったです。
いつかバザーに出すときのために、と保存しておいた結婚式の引き出物の食器とか自動車会社のグッズとかが使えなくなってしまったので。
とりあえず、普段使いできそうなゲーセンの景品ならいけるでしょう、という判断でデカデカと女の子キャラが描かれているようなものではないブランケットを発見して提供しました。
元々環境を求めての中学受験でしたが、結果的に求めていた環境が手に入ったように感じました。
偏差値とかお金とかいろいろ振り回されはしましたが、受験をしてよかったと思っています。

